吉本興業で芸人

吉本興業で芸人として生きる道は簡単ではない。というか、芸人として成功するなんて事は、それこそ雲を掴むような話なのである。しかし、どうして若者は芸人として生きんがために吉本興業などの門を叩くのだろうか。芸人の生活は酷い。実態として芸人の生活は、完全に生活保護ものなのだ。芸人として成功し、外車に乗り、高級焼肉をタラフク食えるのは全体の1%にも満たないだろう。
だいたいにして、芸人ってなんなんだ? 芸人=お笑いタレントだと決め付けるのもどうかと思うが、人を楽しませる芸の持ち主が芸人ならば、やはり究極の芸は感動であったり笑いだったりするのは分かる。吉本興業あたりは、この辺が厳しく見極められている。芸人が看板に頼ったらおしまいだ。芸人は自分の芸一本で勝負せよ。吉本興業創始者の吉本吉次郎だって言っている。吉本興業は確かに芸人の巣窟だけれど、吉本興業が黙っていてこれだけの芸人王国になったわけじゃない。

吉本興業の芸人として

吉本興業で芸人として成功したいなら、人間である事を忘れる事だ。成功した吉本芸人の多くが通過した道。当たり前なのだが、他のプロダクションではそこまで芸人に要求できない。つまり芸人にアマイのだ。
芸人として人を感動させたり、笑わせたりする事は大抵の事ではない。笑われるのが当たり前の存在になる事が芸人にとってどれ程過酷な要求かを吉本興業は知っている。だから吉本興業は芸人を人間扱いしない。人を四六時中笑わせる事のできる人間なんているわけがないからだ。例えば、愛らしい子犬。存在するだけで人を和ませ、微笑ませる。吉本興業が芸人に望んでいるのはこんなところではないか。芸人の理想は、「存在するだけで、自然に笑わせる事」なのだから。
「芸人が考えて人を笑わせるようでは終わりだ。」これも吉本興業創業者の言葉だという。芸人としての責めをまっとうせんとするばかりに、日夜ネタ出しに悩む芸人さんには申し訳ないが、全盛期の明石家さんまにはネタ出しをしている暇など無かったのは周知の事実だ。それでも自然とネタが湧いてきた。芸人として、理想的なパターンが歴史に名を残す、芸人・明石家さんまとなった。

吉本興業で芸人に挑戦する理由。

吉本興業で芸人、芸人と書いてきたが、笑いに限って言えば、本当に淘汰が激しい。吉本興業も人材の疲弊には思うところもあるのではないか。いくら明日の芸人志望が毎年千人単位で訪れるとは言っても、芸人を発掘するなんて、これまた吉本興業をもってしても至難の技なのだ。吉本興業からすれば、「芸人は人である事をもって芸人とせず、世間の笑いをとって初めて芸人とみなす」わけだから、はなから結果なんて予想しようがない。だから芸人は人間じゃないとなる。芸人とはつまり、笑いの存在をもって確認される商品であり、もとより芸をする側の人間にフォーカスは無いのだ。
吉本興業の厳しさは、こういった芸人の笑い発生力ともいうべき力を厳しく見る目から出ているだけだ。なにも吉本興業が芸人をいじめたくてしているわけではない。この吉本興業の厳しさこそが明日の芸人(お笑いタレント)を育てているのは間違いない。芸人に対しての厳しさがあるからこそ、笑いの取れなくなった芸人はアッサリ捨てるのが吉本興業なのだ。芸人としては挑戦なのだから、当たり前の事だけれど。

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